タイトル : キッコリーズ ライブ
日 時 : 2007年10月27日(土) 20:00~
会 場 : カフェ アミナ ( 札幌市中央区南9条西16丁目3-17 [map] [url] )
出 演 : キッコリーズ
店に入った途端、壁にかかっている木路毛五郎[紹介url]先生の作品がかかっているのが目に入って、びっくり。あとでマスターに伺ったら、マスターのお母さんと木路先生がお知り合いだったとのこと。世の中、狭い。そういえば、どこかのホテルに入ったら、壁に渋谷俊彦先生[url]の作品が飾ってあって、びっくりしたこともあったな。
さて、今回のキッコリーズ、実は、カポウさんが大阪の「世界のこぎりフェスティバル」[url]ツアーから帰ってきたのが、当日の午後。「疲れているんじゃないかなぁ」とか「気温差で、風邪ひいたりしてないかなぁ」と心配したけれど、気分的には「ツアーの最終日」なんだそうだ。これは、とんでもないライブになるかも....と、期待感250%増し(当社比)。
さて、今日のテーマは、「月と星」。外には、きれいなお月さま...なんだけど、実は、店の中の熱気で窓が曇ってしまって、外が見えない。ま、どっちみち、窓の方向は、お月さんが見える方向じゃないけどね。
演奏は、いつものように、途中休憩をはさんで、2部構成。
新しいCDになった『花鈴灯』や『ほらね』のようなしんみりした曲から、「座って演奏なんてできない」とばかり、3人全員立ったまま演奏したり、カポウさんが会場内を練り歩いてしまうような明るい曲まで、彼らのレパートリーの広さを、たっぷり見せていただいた感じ。途中、楽器の関係で、いつもは向かって左側に座っている池田さんが真ん中の席で「なんか、いつもと違う感じだぞ。なんか、注目されてて、ちょっとテレるぞ。」という雰囲気満点で演奏していたのは、ビデオ撮りしておきたかったも。
ところで、ずっと気になっていたのだけれど、ステージの上には、キーボードとウォッシュボード....というとカッコいいけれど洗濯板だな...が置いてある。今まで、僕が観てきたキッコリーズで、キーボードというと福さんが出てくるし、ウォッシュボードやパーカッションというと、出田さんが登場するのが定番なんだけど、2人とも会場には姿がない。おかしいなぁ...と思っていたら、キーボードもウォッシュボードも、今回はカポウさんの担当。本人曰く、「弾いてる楽器は、のこぎりに、スプーンに、ウォッシュボード。唯一、ちゃんとしてるのはキーボードだけ...。ワタシは、普通の楽器は弾けんのか?」。いえいえ、カポウさんが弾くと、ノコギリもスプーンも、ウォッシュボードも、普通の楽器に見えますよ。なにより、「声」という最強の楽器、使いこなしてらっしゃるじゃないですか。
それにしても、カポウさんののこぎりの音、以前より太くて安定した音になった気がしたのだけれど、勘違いかしらん。のこぎり、新しいのにした?それとも、ずっと使っているのこぎりが、良い音出すようになった?会場の響き?それとも、今回のツアーで、なにか、新しい技を手に入れたのかしらん。以前のライブより、格段に良い音になってる...と思う。「のこぎりの良い音」というのを聴いたことがないので、僕が良いと思ってるだけなのかもしれないけど、少なくとも、ほかの楽器ときれいに混ざるようになったことは、まちがいない。ほかの会場の時に、聴き比べてみることにしようっと。
さて、アルバムに入っているし、何度もライブで聴いたはずの『ふわふわ』、アレンジが変わったせいか、僕の気分の問題か、始まった直後から、何かに似ていてる....。しばらく考えていたのだけれど、鈴木さんのバイオリンが入った瞬間に気がついた。このバイオリン、デイビット・クロスだ。ということは、クリムゾン...。あまりにかけ離れたバンドだったので、はじめは「バイオリンの音が入ってるから、勘違いしたんだ」と思ったけれど、聴けば聴くほどクリムゾン。リズムも音も全然違うのに、やっぱり雰囲気はキング・クリムゾン。家に帰ってから、クリムゾンのアムステルダムライブを聴きなおしてみたら、やっぱり、あの雰囲気だった。不思議だなぁ。次のアルバムを作る時に、このアレンジで、もう一度録音しなおしてくれないかしら。
さて、次に行けるライブは、年末のカウントダウンかな。楽しみ、楽しみ。
タイトル : 『言葉のチカラ』~長沼教育を語る会
主 催 : 長沼教育を語る会
日 時 : 2007年10月26日(金) 18:30~20:30
会 場 : 長沼町総合保健福祉センター「りふれ」[url][map]
スピーカーは、長沼町内で「ぽこぺん」という絵本屋さん(紹介url)をやっている飛島詩子さん。
「自分が住んでいる地域で、エラそうなことを言うのは、けっこう恥ずかしい...。さらに、保育士時代から、大勢の前で話をするのは苦手だった」と話し始めた。普段、お店で声をかけてくださる時、一言一言、言葉を選びながら話されているのを思い出して、失礼ながら「そうだろうなぁ」と妙に納得。飛島さんの話し方は、少人数相手では成立するけれど、大人数相手では難しい。基本的に、「書く」コミュニケーションの方みたいだしなぁ。
などと思いつつお話を聞いていたら、「多人数相手に話をするのが苦手」に加えて、話が飛んでしまうという癖もあることが判明。それも、頭のいい人たちの特徴である「話している間に思考が先に走って行ってしまって、表現が追い付かない」という飛び方。ぼくなんかの話がとびとびになるのは、単なる支離滅裂なんだけれど、頭のいい人たちの場合は、飛んでいるように見える話の合間を考えていくと、ちゃんとつながっている...という奴。こういう話を聞くのは、パズルを解いているようで楽しいんだけど、リアルタイムで聞いているときは、パズルが解けて、「こういう風につながっているんだ」とわかったときには、すでに話がかなり先に行ってしまうのが辛い...。
そんな、ちょっと辛い話し方であっても、「伝えたいこと」を強烈に持っているから、飛島さんの話には説得力がある。自分が好きなことを、他人に理解してもらおうとする人の話は、話し方の上手下手なんかは無関係に、人を引き込む。
というわけで、今回は、スピーカーが話したかったことをちゃんと聞きとれたか、かなり自信がない。
絵本について
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絵本の歴史は短い。世界的に見ても160年、日本国内では60年程度(なんか短すぎる気がする。もしかすると、聞き間違えているかもしれない。)の歴史しかない。このため、絵本に対する一般的な理解は、「子供のための本」という認識が大半。しかし、じつは、絵本は、子どものためだけにとどまるものではなく、子供から大人まで、すべての人に対して、生きる力を与え、生きる方法を教えるもの。絵本史以前は、大人のための「絵のない物語」が大人に対して生きる力を与え、子供たちに対しては、昔話のような語り継がれてきた物語が、同じ役割を果たしてきた。
ちなみに、作られた物語は、ほとんどがハッピーエンドだが、昔話は、残酷さや理不尽さを隠さないし、すべてが正義の物語ではないのが特徴。だから、ウルトラマンやアンパンマンは、昔話の代替にはならない。
物語がつくるもの
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相手にたいして共感することや、共通のイメージを作るのが、物語の役割。他人との間で、シンパシーを感じるとき、人間は相手に対して優しくなれる。
『どんどこももんちゃん』[amazon]
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リズム感のある文章と、まるっこい絵が多い全7冊シリーズ中の一冊。
赤ん坊は、物語は理解できないけれど、母親の胎内リズムを思い出させる拍打ちが好きだし、リズムを作り出す打楽器が好きなので、言葉のリズムや音の響きは重要。また、人間は、生まれてすぐに30cmくらいのもの(人間の顔を同じサイズ)に反応するので、赤ん坊にとっては、本のサイズも大切なファクター。さらに、登場するものが全体的に丸っこいというのは、やはり、1才未満の子供の興味を引く。
『どんどこももんちゃん』のシリーズは、この3つの要素をすべて満たしているので、1才未満の子供に読んで聞かせても、興味を引くことができる。ちなみに、絵本の絵には、文章に書かれていないことが表現されている。それを読み取る力をつけることができるのは、9才くらいまでと言われている。この力をつけるためにも、9才くらいまでは、絵本を読み聞かせることが大切。
『三びきのやぎのからがらどん』[amazon]
北欧神話。
もともとの話が、口述なので、リズムがある話。
2才半から3才くらいになると、親から離れても自分でいろいろできるようになるし、友達とも遊べるようになる。親から離れるということは、同時に、外敵にであう可能性を意味する。物語の中で、外敵のイメージとして出現する「おおかみ」や「トロール」と対決する者を、子どもたちは、自分とオーバーラップさせて見ている。だから、何度も読み直したり、劇遊びをすることで反芻するし、それは、生きる力になっていく。
自分と相手をオーバーラップさせることは、相手に強く共感することでもある。アボリジニの風習に、「人の感情を共有するには、その人の悲しみや怒りを自分でまねしてみる」というのがあるが、それは、まさに子供たちが「劇遊び」するのと同じこと。
『やだ』[amazon]
おなじ「やだ」という言葉が何回も出てくるが、絵から表情の違いを読み取って、そこから「やだ」具合を読み取ることができる本。
人間観や世界観
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絵本にとって大事なポイント。
今までの「日本だけで生きる」価値観と、これからの子供たちが生きていく「世界とともに生きる」価値観は、違うのではないか?
『わたしのいもうと』[amazon]
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著者である松谷みよ子さんは、いじめをテーマにしたこの本を、「戦争と平和」の棚にいれてほしいと語っている。それは、「自分と違った人間を、どう見るか」という問題は、「異国の人間(自分と違う風習をもつ人間)を、どう見るか」と等価だし、「他人を理解しようとしない態度」は、「ほかの国を理解しようとしない態度」と根が同じであるという考えに基づいた発言。
この話の関連して、国際理解に関する本として、韓国作品『ソルビム』[amazon]、『ことりはことりは木でねんね』[amazon]、『こいぬのうんち』[amazon]が紹介された。
ダメな本と良い本
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読み取らせることや、読む人の力を信じているのが良い本といえる。たとえば、「戦争はいけない」とか「人をいじめてはいけない」という書き方は、ダメ本の典型。
良い本の例として、『せかいいちうつくしいぼくの村』[amazon]が紹介された。
『はせがわくん きらいや』[amazon]
1974年作品。
印刷文字ではなく、とても読みにくい文字で文章が書かれているので、読み手は一生懸命読まなくてはならない。これは、「読み飛ばされたくない」という筆者の気持ちの現れ。
「健常者は、障害者に対して、優しく接しなくてはならない」という価値観を根底から覆した作品。なにしろ、障害者に対して、「きらい」と言い切ってしまう。それまでの「弱者(障害者)に対しては、好き・嫌いよりも、やさしくすることを優先させる」という大人の価値観は、「相手を障害者としてではなく、一対一の対等関係で、好き嫌いを語る」この本には太刀打ちできない。
未発達な部分を持つ障害者と、未発達であるがゆえに周囲の手助けを必要とする子供は、「未発達」という部分で共通項があるのではないか。さらに、年齢が上がるにつれて、今までできたことができなくなっていき、周囲の手助けが必要となっていくのも、同様に共通項を持つのではないか。一言に「障害」と表現するが、実は、そこには「見える障害」と「見えない障害」が存在するのかもしれない。
この本の語り部である「ぼく」の「どうして?」は、相手を「きらい」と言いながらも無視できず、「かかわり続ける」気持ち。かかわることで、情が深まり、「きらい」という言葉の意味合いが変化していくところが読みどころ。最後が「大嫌い」ではなくて「だいだいだいきらい」であるところも、救われた気持ちになる理由。
単純なハッピーエンドではないが、共感することによって相手を理解していく過程は、子どもが転んだ時に「痛くないよ」というのではなくて「痛かったね」と相手の痛みを受け止めていくことの大切さと同じ。
『スガンさんのヤギ』[amazon]
不条理を描く、フランスの昔話。
特にコメントはしない。自分で感じてほしい。
ロガー注釈 : amazonへのリンクは、参考のため。実際は、本屋さん(近くにいる人は、ぽこぺんで)で手に取って確認するのがお勧め。
タイトル : 第二回わかば祭「トンチキ楽団、昊を往く!!」
日 時 : 2007年10月13日(土) 20:00~
会 場 : クラブカウンターアクション ( 札幌市中央区南2条西1丁目広和ビル2階 [map] [URL] )
出 演 : トラノコ, アイリッシュサークル, 紫イアン, オイバルカンズ, オインク, 若葉
素直に言うと、行くまでに、かなり躊躇した。「大音響」は、何とかなると思う。でも、パンクバンドいっぱいみたいだし、「カウンターアクションって、どんなところよ?」とGoogle神に聞いてみたら、「パンク&ハードコア系ライヴハウス」とか書いてあるし。僕が知っている「パンクバンドがライブハウスに出る」というのは、酒や「公の場では書けない何か」にヤラれてエラいことになってるやつがフロアに寝っ転がってたり(突然、暴れたりもする)してたし、流血騒ぎも一度二度じゃなかった(実は、「流血騒ぎがなかった記憶がない」が正しい)し、別のパンクバンドが殴りこみにきてみたり...で、僕にとっては、ちょっと覚悟が必要な場所だったからだ。そんなところに、何度も行ってたのは「若気の至り」ってやつだったのか?それとも、僕か行ってたところの筋が悪かったのか?
で、行ってみたら、主催者の若葉についている客筋がいいのか、最近のパンク兄ちゃん、パンク姉ちゃんが良い子になったのか、ほぼ普通のライブだった。だいたい、物販のテーブルに担当者がいなくても、ものが残ってるなんて、昔はありえなかった気がするが...。それよりも、みんな、良い格好してるじゃん。ビニジャンじゃなくて、皮ジャンだし...とか書いてると、齢がバレるので、本筋と関係ない話は、ここまで。
トラノコ
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ちょっと遅れて入って行ったら、トラノコがガンガン煽っていた。トラノコは、若葉のベースがリーダーでボーカル、若葉ではバクパイプ担当のリーダーがベースを弾いているパンクバンド。若葉とは全然違う音だけど、音の種類が違っても、その音になりきってやれるところが、すごいな。11時過ぎまでの長丁場というのに、最初からこんなに煽って、客の体力は持つのか?とちょっと心配になる。
アイリッシュ・サークル
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今回のライブでは異色の、アイリッシュ・トラッドをやる北大生3人組。「札幌市内で行われたアイリッシュ系のライブに行ったら、怖いお兄さんたちに声をかけられ」て、若葉と知り合いになったらしい。わはは、モヒカンツンツンなお兄さんに、突然、「君たち、良い音だしてるねぇ」って声かけられたら、ビビるわな。みんな、顔をみると、優しそうなんだけど、どうしても髪の毛に目が行くからなぁ。
で、演奏はうまいけれど、ちょっと場違いな気がして気おくれしてるらしく、緊張気味の演奏。縦ノリに慣れている観客も、ちょっと戸惑い気味。それを若葉のメンバーが、一生懸命盛り上げる。いい奴らだ、ほんとに。
演奏はプロ級なので、これで「アウェーで客を盛り上げる」技術がついたら、音楽でごはん食べられるようになるかもなぁ。時々ライブをやっているようだから、そのうち、聴きに行ってみよう...とブックマーク。
紫イアン
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お兄さん...いや、オネェかな....なボーカル。どこまでマジメか、ちょっととまどうけれど、きっと本人は、真剣にやってると思う。ロックな曲からシャンソン調の曲まで、広い範囲の歌が歌えて、かつ上手だ。本人にとっては不本意かもしれないけれど、実は、歌の印象を薄れさせてしまうくらい話も面白い。なによりも、人の前に出た瞬間に、みんなの目を引く何かがある。これは、「女装しているから」ではなく、きっと「普通の格好」をしていても、みんなの目を引き付けるんだろうな。
オイバルカンズ[url]
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3ピースバンド。
昔懐かしい音(「古臭い」という意味ではない)で、かなりホッとしながら聴く。
やっぱり、3ピースは、ロック/パンクの基本だよなぁ...とつくづく思う。その反面、3人全員が高い演奏力を持っていないとボロが出るし、さらに3人のレベルが均等でないと、下手な演奏がより目立ってしまう....という、バランスが難しい組み合わせであることも確か。
安心して聴ける3ピースは、本当に希少だよね。
オインク
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うぉ、音の分厚さにびっくりした。
若葉と同じスコティッシュな編成。若葉より、若干ソフィスティケートされてるかな。その分、土のにおいが消えてしまった感もあるけれど。
いずれにしろ、とてもハッピーな演奏。やっている人たちの楽しそうな気持が、観客にも伝染していくのが目に見えて分かる。
そのうち、CD探してみようっと。
若葉
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で、本命の若葉。彼らが出てきた時点で、すでに23時過ぎ。でも、観客は疲れた様子もない。転換中にかかっているBGMに合わせて踊りだす始末。体力あるぞ、若ものたち...と思った僕は、完全なオジさん。
狭いステージいっぱいにメンバーが乗っかって弾いて、歌って、踊って、煽る。この場にいれることが、とにかく、楽しくてたまらないという感じ。CDもハッピーだったけど、ライブは、さらにハッピー。お気に入りの「Soul Flower Unionを彷彿させる曲」(...と言ったら、彼らに失礼かな)の数々。ライブハウスの照明の下もいいけれど、晴れた青空の下で演奏したら、面白かろうなぁ..と想像してみる。
ただ、全曲、アップテンポなのは、僕にはちょっときついな。1曲くらいスローな曲で一息つけさせてほしかったかもな...と思うのは、僕がオジさんだからだろうな。
また、チャンスがあったら聴きに行くことにしよう。
入口のドアを開けたら、若葉のメンバー自身が受付やってて、思わずのけぞってしまってから、約4時間。立ちっぱなしのお祭りはおしまい。久しぶりに、たのしい時間だったけど、変なオジさんが一人、混ざっていて、場の雰囲気壊してなかったかなぁ。暗かったから、誰も気づいていなかったことにしようっと。
タイトル : YKKK
日 時 : 2007年10月12日(金) 20:00~
会 場 : Jamusica ( 札幌市中央区北4条西28丁目1-16 ラ・ワイズビルB1[map] [URL] )
出 演 : YKKK(カポウ(vo, musical saw), 福由樹子(pf), 古舘賢治(g, vo), 釜鈴徹(bs))
久しぶりに聴く、カポウさんののこぎり。福さんと古舘さんも、夏の花茶ライブ以来だ。そこに、新たに加わったベースが、あの「へ音や」の釜鈴さん。あれれ、人間関係が、どんどんつながっていく不思議...って話は、以前、カマスズ&フクAcoustic Project のところで書いたんだっけ。
ライブ告知で、「今回は、クラッシックとか、プログレっぽい曲も」と書いてあったので、ちょっと楽しみにしていたら、なんと一曲目から、『アベ・マリア』。うん、のこぎりに似合う曲。良い感じだ。僕の偏見かもしれないけれど、クラッシックの曲をアレンジする時、かなり気を使って曲を決めないと、演奏者は真剣にやっているのに、お笑い音楽に聞こえてしまう気がする。本人が「お笑い」とか「ウケ狙い」でやってる場合は良いんだけれど、そうじゃない場合、聴いているこっちが気恥ずかしくなってしまう。僕にとってイージーリスニング、NiceやTraceの一部の曲を聴くと、「辛いなぁ」と思ってしまう所以。あ、NiceだのTraceだのと言っても、ほとんどの人は、知らないか。今回の『アベ・マリア』は、正解の方。でも、一曲目から、こんなにくつろいで良いんだろうか。
一部の途中で演奏されたもう一曲のクラッシック曲は、モーツアルトの『魔笛』の中から、有名な『夜の女王のアリア』。クライマックスで、脳天突き破りそうな高い声になる奴。これ、聴くたびに、「あ~、歌ってる人、血管切れないのか?」と心配になって、ついつい、曲に入り込めないのが、玉に瑕....って、そんなこと考えてるのは、僕だけか?
「今回は、のこぎりだから、脳卒中の心配はないな」と思ってゆったりしていたら、この曲って、音符がすごく細かいんだった。福さんのピアノが、「さ~、じやんじゃん追いあげちゃうよ」と容赦なく追っかけてくるのを、カポウさんののこぎりが必死で逃げてる感じ。時々、「まさか、カポウさん、のこぎり弾きながら、歌っちゃうんじゃないか?」と思うところも数か所。そう、カポウさんは、もともと、歌の人。
伴奏が「女王」じゃなくて、歌の方...今回は、のこぎりだけど...が「女王」だよね?何に追われてるんだ、夜の女王。ここは、逃げるところなのか、夜の女王。一言、忠告するが、そんなに力強く逃げると、相手に気づかれまくりだぞ。まさに手に汗握る追いかけっこが繰り広げられて、一曲目の「ほんわか」ムードは霧散したのだった。
あんまりドキドキしたもんだから、福さんとカポウさんの追いかけっこだけが記憶に残っていて、古舘さんのギターと釜鈴さんのベースの記憶がない...ってのは、いかがなものかと、深く反省。ごめんなさい。
ところで、キッコリーズのCDの1曲目に入っている"Heaven is My Home"は、カポウさんが歌詞を書いて、池田さんが曲をつけているのだけれど、実は、CDになっていない「カポウさんの作詞、福さんの作曲」バージョンがあることを、初めて知った。同じ歌詞に、二人が曲をつけてきたら、全然雰囲気の違う曲になっていた....といういきさつがあるらしい。今回のライブでは、普段、聞くチャンスが少ない福さん作曲バージョンが演奏された。ううむ、確かに全然違う。同じ歌詞から受けた印象の違いなのか、曲を作る時に使う楽器の違いなのか。聴き比べると、かなり面白い。福さんのは、このまま合唱曲にできそうな感じ。古舘さんの作曲バージョンとか、釜鈴さんの作曲バージョンとか、いろいろ揃えてCDにすると面白そうだなぁ。
今回のライブで、僕がちょっとだけ失敗したのは、座る位置。演奏が始まってすぐに気付いたのだけれど、座った場所は、「ピアノの音が直撃してくるのに、スピーカーからの音が、弱めに聞こえる」場所。ボーカルは音の質が違うし、のこぎりは音質も音の高さも違うので聞こえてくるのだけれど、古舘さんのギターと釜鈴さんのベースはかなり控えめ。スピーカーからの音の通り道からギリギリで外れているらしく、頭をちょっと動かすと、隠れていた音が聞こえ始めるのだけれど、その状態で聞こうとすると、かなりツラい体勢、かつ、なんか不自然。
と、いうわけで、今回は、あの釜鈴さんのメロディアスなベースラインと、古舘さんのきれいなギターの音色を堪能できなかったのが残念。次は、座る位置を考えることにしなくちゃ。